嘗て、幼い私は同情と愛情を履き違え淡い恋愛感情を抱いた。

 生まれついての全盲であり、家庭内における異端者であった私に、唯一優しく接してくれた彼女。

 

 彼女――私と血を分けた双子の妹は、正に太陽のような少女だった。

 

 血族同士の恋愛が禁忌だと云う常識も当時の私には理解出来ず、また相手がどう思っているかも勘定に入れる事は無く。

 掛け値なしの一人芝居、私の世界だけで成り立っていた恋。

 

 当然、妹の方に恋愛感情は生じていなかった。それもその筈、心優しい彼女はただ盲目の家族を労っていただけに過ぎないのだから。

 幼い恋が終焉を迎える頃、後には何も残らなかった。

 唯一、妹との間に生まれた距離を除いては。

 

 

 

**

 

 

「…アル、おにいちゃんのこと、とくべつにすき」

 

 此の戦争を切っ掛けに知り合った少女――アルデバランにそう告げられた時、咄嗟に脳裏に過ぎったのは幼い頃の自分の姿だった。

 震える声で愛を告げた時、私の妹は一体何と答えたのだろうか?

 声も、内容も、今では思い出せない。ただ「そんなつもりじゃなかった」と、その一言だけは鮮明に覚えている。

 

 遠い昔……私が妹に向けたのは、幼い恋愛感情。妹が私に向けたのは、盲の家族に対する憐憫の情。

 そして現在……アルが私に向けているのは、幼いながらも確かな恋愛感情なのだろう。

 

 では、私は?

 私は彼女――アルに、どんな感情を抱いているというのだろうか。

 

 少なくとも嫌悪感は無い、それは自信を持って言える。……ただ、この好意が純粋な年下への愛情なのか、そうでないのか今の私には解らないのだ。

 妹のように可愛がっていたアルに好きな男が出来たと聞いた時、少なからずショックは受けた。未だ見ぬ相手への怒りも。

 しかしその対象が自分と分かった時、行き場を失った怒りは別の形のショックへと変わった。

 

 目の前には、私を見上げるアルの無垢な瞳。

 彼女を傷付けたくはない。それでも、その場凌ぎの嘘を言うのは許されない。そんな事をしたら、益々彼女が傷付くだけだ。

 

「……有難う、アル」

 

 精一杯の余裕を保ちながら静かに答えた私の声に、小さな体が僅かに揺れる。

 通信機を持たない左手で柔らかな髪を撫でながら私は努めて緊張を表に出さないように、自分の思いを口にした。

 

「けれど……すまない、私には今すぐ答えを出すことが難しいんだ。

 だから、もう少しだけ待っていて欲しい」

 

「……わかった。アル、まってる」

 

 その沈黙は長かったのか、短かったのか。

 答えを保留にされるというのも、それはそれでアルにとっては恐怖な筈。

 それでも彼女は小さく頷き、廊下の向こうへと走り去って行った。……恐らく、彼女の言う『はかせ』に報告しに行ったのだろう。

 

 その後ろ姿を見送ってから、私は先程すんでの所で落としそうになってしまった通信機のボタンを押した。

 三コール程待ってから、相手――私の“開発者”の流れるような声が響き出す。

 

『どーしたねアイロニカ、態々ワタシの所に君が連絡を寄越すなんて珍しいじゃないか! もしや其処での戦争が嫌になった等と言うまいね?

 それは良くない、実に良くない! 一体何の為にワタシが君を戦闘能力とスピードに特化したミュータントに作り上げたと思っているんだい!

 戦場で、その性能を、試す為である! アンドリューズだってそうだったじゃないか!

 しかし何故だ! キミはワタシの最高傑作で、戦闘意欲も高かった筈! それが一体どうし』

 

「ドクター・クルト、先ずは私の話を聞いて頂きたい」

 

 ……あの科学者は何時もこうだ。己の中であれこれ妄想を巡らせては勝手に自己完結して人の話を聞きやしない。

 しかし、これでも彼は私の恩人であり育ての親でもある。

 呆れ混じりに溜息をつきながら、彼の与太話を遮り私は事の顛末を話した。

 

 

 

 

『はー、要するにアイロニカが幼女に告られたと……』

 

「誤解を招く言い方は止して頂きたい、ドクター。彼女はもう既にミュータントとして成熟しているし自由行動を許可されている年齢だ。

 ……それに、私は未だ二十三歳。彼女とはたったの五歳しか違いません」

 

『しかしキミを好きだという、その……誰だっけ?アルデラとか言ったか。

 キミは、まるで歳の離れた妹のように話すじゃないか。てっきり製造途中のミュータントかと思ったぞ』

 

「……其処が問題なのですよ、ドクター。

 確かに彼女の精神は幼い、私も妹のように思っております。それ故に……」

 

『妹として好きなのか、女として好きなのか分からない――と?』

 

「……――ええ。加えて言うならば、本当にアルが私を好いてくれているのか……。

 幼さ故の勘違い、と言う事も考えられなくはありません。私も、昔はそうでしたから……ね」

 

『ああ、昔キミが言っていた妹の話かい? ……しかし、当時のキミは幼いなりに本気だったのだろう?

 それを“勘違い”で片付けるのはどうかとワタシは思うがねぇ。ましてや、他人の気持ちなら尚更さ。その子だってきっと――』

 

「彼女もまた本気だと言うのなら――それならば尚更、私は自分の気持ちが分からなくなる。

 一体、どうすれば良いのでしょうか……」

 

『馬鹿、そんなものキミにしか分からんよ。他人の考えがワタシに解る筈無かろうて。

 まァ、その娘に抱いている気持ちが愛でなく只の好意なら断った方がお互いの為だと思うがね。

 キミが心からその娘を傷付けたくないと願うのなら、中途半端な気持ちで承諾しない方が良いだろうよ。

 もし仮にキミがその娘を受け入れるとしても――……時にアイロニカ、キミは仮面の下をその娘に見せたかい?』

 

「いいえ、此の眼を見られれば十中八九気味悪がられるでしょうから。

 アルはまだ幼い……余計なトラウマを、植え付けたくはありません」

 

『なら、もしもキミが告白を受けるのなら、早い内に見せるか一生見せないか決めた方が良いぞ』

 

「――はい?」

 

『だから、キミのその傷を見ても尚受け入れる器量の在る娘かどうか確かめろ、と言っておるのだ。

 それとも、キミに傷を見せないようにするだけの覚悟があるかね?

 気持ちも覚悟も、中途半端な侭では全員が傷付くことになるだろうよ』

 

「……成程、確かにドクターの仰る通りだ」

 

『なーんて、長々と語っちまったがね。ワタシにアドバイス出来るのはこの程度さ。

 後はキミ自身が考えて、行動しな。自分の感情に正直になりゃあ、意外と選ぶべき道は見えてくるもんさ』

 

「有難う御座いました、ドクター。……自分の進むべき道は、正直未だ分かりません。

 ですが、アルを傷つけないように、私自身に嘘を吐かないように――考えてみます」

 

『ま、精々足掻くこった。じゃ、ワタシは試作品の稼動テストがあるんで切るよ』

 

 電話越しに近付く機械音が響き、やがて通信が途絶えたことを無言が知らせた。

 ……相変わらずだ、極稀にそれらしいことを言うのも。真面目なことを言うのも。

 本当に、分からない人だ。…それでも、その言わんとする事は何となく分かる。

 親子とは、こういう物なのだろうか。………偽物だからこそ、なのかもしれない。

 

 だが今は、アルの事と向き合わねば。

 私を好きだと言ってくれた優しいあの子を、悲しませない為にも。

 

 

**

 

 

「……今回は、ISHと別地方の境界線付近での迎撃になる。

 相手は異国人――何を仕掛けてくるか分からないから十分用心するように。

 怪我をしたり自分の手に負えないと感じたら、無理せず私に言いなさい。……分かったね?アル」

 

「…うん」

 

 少しばかり納得行かないと言いたそうな雰囲気を纏いつつも、彼女は従順に頷く。

 アルからの告白を受けてから数日経つが……あれ以来まともに顔を合わせて話したのは、共闘に誘った今朝のが初だ。

 私から共闘を持ち掛けた意味を彼女なりに察したらしく、長い沈黙が続く中でもこうして私に着いて来てくれている。

 

 ………あの日から、随分と悩んだ。正直、今でも未だ迷っている。しかし、答えを出さなければ。

 私の感情とアルの想い、その両方に嘘が無いように。そしてどんな形であれ、彼女を守れるように。

 

 だから私は、自ら死を選ぶ訳ではないが――この任務を終えたら、彼女に告げようと思う。

 この台詞が死を直前にした戦士の常套句であることは百も承知だ。……しかし、今は敢えて使いたい気分なのだ。

 戦闘員としてミュータントの身体を得た私が、果たして何処までやれるのか。

 仲間一人守れないようなら、最初からそれだけの個体だったというだけの事。

 

 地方と地方の境目――所々歪に継ぎ接ぎされた土地を歩きながら、内心決意を固めた直後。

 早速“敵”はその姿を表した。

 

「ト……トージョウ連合武士隊が一人、浅葱鴨左エ門に御座る!

 い、いざ、いざ尋常に勝負を……って、矢張り戦闘など拙者には無理で御座る!戦いたくないで御座る!」

 

「今更何ほざいてやがりますか、この×××!ブシならしゃきっとなさい!

 えー、僕様はシンオウ騎士団に所属しております魔法騎士のロト・シルヴェスターと申す物です!

 早速ですが其処のおにーさんとおねーさん、僕様達に殺されちゃって下さいッ!」

 

 森の影から勢い良く飛び出した、茶髪に和服の臆病そうな男と甲冑に身を包んだ橙髪の少年。

 男の方は刀を構える手が震えているが、少年の方は既に臨戦態勢だ。

 

「宜しい、ダブルバトルなら此方としても異存はありませんよ。……異国の方々」

 

 隣では既に腕を変形させたアルが、男の方を睨め付けている。

 私も獣の姿に戻ろうとして――正面を見据えたまま、そっと彼女に告げた。

 

 

「――アル。この戦闘が終わったら、君に話がある」

 

「……なぁに?」

 

「とても大事な話だ。……だから、私が生き残れたその時は、どうか聞いて欲しい」

 

「……――ないよ」

 

「…ん?」

 

「――死なせないよ、お兄ちゃんはアルがまもる。ぜったいに……!」

 

 その横顔は、私が守ろうとしていたか弱い少女の物とは同一でありながら全く別物で。

 傷付けまいとしていた自分が、何故だか酷く滑稽な存在であるかのように思えてくる表情。

 

 ……恐らく、私が守ろうとしていたのは自分自身だったのではないだろうか。 

 アルを守ると言いながら、結局は彼女に嫌悪の目を、困惑の目を向けられるのを避けたかっただけではないのだろうか。

 

 

 嗚呼、漸く決まった。私の出すべき答え。彼女に告げるべき言葉。

 幼い頃の私がアルと同じ強さを持っていたのなら、妹の答えもきっと変わっていただろうか?

 

 愛を求めるだけでなく、愛を与える強さ。あの頃の私に足りず、今の彼女が持ち合わせているのはそれだ。

 

「……有難う、アル。私も、君を守るよ。

 絶対に、私と君が生きて帰る。……帰らなければならない」

 

 

 

 獣の姿に戻り、私は吠える。

 刀を構えた男は僅かに怯んだ様子を見せ、少年は掌に電気を纏わせた。

 戦いの火蓋は切って落とされる。

 私と、彼女を、祝福するかのように。  

 

 

 

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お借りしました!

 

・アルデラちゃん(@清峰霧居さん宅)

 

 

登場モブキャラ簡易紹介

 

クルト・セシル(★クルマユ♂)

アイロニカとアンドリューズを製造した科学者。人の話を聞かない暴走癖がある。

製造した作品には、いつも自分の本名と同じ名字を付けている。

 

アンドリューズ・セシル(ドリュウズ♂)

クルトに製造されたアンドロイド。寡黙だがパワーは強い。元は親も本名も分からぬ孤児で、現在の名はクルトに付けられた。

 

浅葱鴨左エ門(カモネギ♂)

トージョウ連合の武士。臆病で戦闘が嫌いだが、家名の為戦争に参加している。

 

ロト・シルヴェスター(ロトム♂寄り)

シンオウ騎士団の魔法騎士。プライドが高く攻撃的。電気系の魔法が得意。