――足音が聞こえた。
微かではあるが、大地の震えを感じる。これはヒトだろうか、それとも獣のそれだろうか?
振動の間隔から察するに、恐らく一体。そして、忙しなく駆けるでもなく通常の速度で歩いているのだろう。
近辺の仲間か?しかし、この臭いは嗅ぎ慣れた機械のではない。生身の肉体……それも、獣の臭いだ。
「……アイおにいちゃん、どうしたの?」
急に立ち止まった私を、怪訝そうに見上げているのであろうアルデバラン――アルの声のする方に顔を向け、私は敵が接近しているかも知れない事を告げた。
アルが今どんな表情をしているのか、私には解らない。それどころか、アルがどんな顔立ちなのかも、今の私に知る術は無い。
しかし、彼女の纏う空気が変わったのは分かる。
「アイお兄ちゃん、アルも――」
「いけないよ、アル」
言いたい事は分かる、しかし遮らねばなるまい。何故なら、彼女は腕を負傷しているからだ。
怪我人を戦わせるわけに行かない。……私を”造った”あの男ならば、負傷者だろうが瀕死の重症だろうが構わず戦地に送り込むのだろううけれど。
私は、少なくとも彼とは違う…。
「アルは怪我をしているんだ。一足早く戻った方が良い」
「でも、それじゃあアイお兄ちゃんが…!」
「私を信じてくれないのかい? 問題無いさ、異国の旧来種共に敗北するなど在り得ない。我々ISHは――ISHの作品は科学の最先端なのだから」
返される言葉は無い。それでも未だ動こうとしないアル。近付く足音。
……あまり余裕は無い、か。
迫る足音を背に、アルの肩に両手を掛け私は地に膝を付く。
「………アル、もし今戦って死んでしまったら誰にも会えなくなってしまうんだ。
まだ幼い君には”死”がどういう現象かよく分からないかも知れない。
だが、もうあまり時間が無い。後で必ず戻るから、今は先に行っていてくれないか?」
「………………わかった」
アルの足音が遠ざかるのを聞きながら、振り返る。
彼女が素直に戻って行ったのも、今此処にある存在が理由の一つだろう。
背後の足音は、もう聞こえない。
「――敵前逃亡ッスか。どうやらISHとか言う国の奴らは、よっぽど恥を知らないみたいッスね」
頭上から降ってくる声。
何かが地上に落ちる――否、何者かが地上に降りる音。
二体の獣の臭い。……そして、羽音。
どれも初めて感じる。そうか、彼らが――。
「………ようこそ、侵入者諸君。君達がシンオウという異国の者ですか」
「そーッスけど、あんたとさっきの奴はISHの人間?
女の子を護ろうっつ―姿勢には共感出来るけど、逃げるってのは頂けないッスねー。俺なら、その場に残して良い格好見せるけど」
「生憎、そのような俗物的欲求で戦闘に臨める程……我々は甘くないのでね。
それより、何の御用でしょう? 私は現在、侵入者を撃退せよとの命を受けているのです。
異国の旧来種の相手をしている暇は無いのですが」
白黒の世界に見えるのは、翼を持った人型の生物。
そして、その背後に控えているのであろう巨大な何か。
人型の生物は纏う空気を変え、真っ直ぐ此方に声を投げる。
「そりゃあ偶然、俺も命令を受けてるんッスよ。
卑怯なISHの奴らに奪われた、大事な人を取り戻せ――ってね!」
空気が震える。風を切って接近する音が聞こえる。
一瞬の間に鼻先へ到達したその生物を迎えるように、私は軽く地を蹴る。
「それは結構、私も遠慮せず済みますよ」
そして、”戻った”
紫を基調にした身体の色。長く靭やかな四本の脚。
色鮮やかとまでは行かない迄も、機械を通すよりはずっとよく見える世界。
これが、ミュータントである私――アイロニカ・セシルの本来の姿。
「………何スかそれ、気色悪い」
彼の国では馴染みがないのだろう。最初に見えた表情――黒い髪と鳥のような翼を生やした青年は、まるで理解出来ない異体でも見るかのような視線を寄越す。
私は応えない。応える義理もない。
暫く困惑した様子の彼だったが、やがて腰に携えたレイピアを抜いた。
「……やっぱ、他の国には変な奴らが居るもんだねぇ。獣に変身する人間なんて初めて見た。
ま、あんた達は既に人間じゃねーんだろうけどな」
レイピアを構え、彼は笑う。
「異国に制裁を、慈悲なき戦いを。我らは誇り高きシンオウ騎士団なり。悪いけどォ、騎士道に従っちゃってあんたを殺しちゃうよォ?」
何が騎士道だ、何が誇りだ! 古臭い理想を掲げる鳥人間め。
お前ら旧来種など我々の敵ではない。
声には出さず、私は嘲笑う。
そしてそれが――戦闘開始の合図となった。
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お借りしました!
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