――シンオウ地方ヨスガシティ、城内。

 数年に一度シンオウ地方で盛大に開催される謝肉祭、その前夜祭ということもあって大広間は着飾った人々で賑わっていた。
 流れる優雅な旋律、フロアの中央で手を取り合い踊る幾組もの男女。
 中には仮面で顔を隠した者も居て、真っ赤なタキシードに身を包んだ侵入者――ダイス・ハロウもその一人だった。
 普段装着している眼帯の上には巫山戯たようなロトムの笑みを模したマスカレードを被り、頭のシルクハットも平素と違いみやび模様ビビヨン風の羽飾りが着けられている。
 傍らには本物のビビヨン――相棒のフェネインが澄まし顔で宙を舞い、煌びやかな雰囲気にその身を馴染ませている。

 同じく正装姿でマスカレードを身に付けた上司のイグニスと、その妹であるカエンジシ♀のグラマラスな美女――フランマを横に、ダイスは仮面の下の右目でダンスホールと化した広間を見回した。

「すっげぇな、流石は騎士団サマ――ってとこか?」

 カロスでも男女が共に踊るダンスフロアを何件も見たけれど……バカみたいにセクシーで露出度の高い服を着た女と、そんな女を品定めしようとダンスに誘う男が多かった覚えがある。
 此処は何処か神聖で上品な雰囲気があって、同じ“ダンス”でもカロスとシンオウでは随分と違った。

 感心したように呟いたダイスとは対照的に、こういう場に慣れているらしいイグニスと相棒のジョセフィーヌ、フランマは然程驚いた様子もなく悠々と歩を進めて行く。

「騎士団が云々、と言うよりもシンオウの伝統であろう。フム、宴の舞台に相応しい場所だ――狩り場としても、な」

「いーわねぇ、こんな綺麗で豪華なドレス着て踊れるなんてサ。ねぇダイスちゃん、折角だしアタシと一曲踊らない?」

 甘ったるい声で囁くフランマ、物騒な呟きを真面目な表情で零すイグニス。
 そんな兄妹に心底可笑しそうな笑い声を上げながら、ダイスは「折角だし嬉しいけど、アンタと踊ったら任務忘れそうで怖ェから」とフランマの誘いを丁重に断る。
 それを気にする様子も無く、フランマは「あらそう、じゃあ兄様と踊ろうかしら」とイグニスの腕に絡み着いた。
 バーのママらしい男慣れした妹の仕草に溜息をついた彼も、その誘いを断る気は無いのか黙って彼女の手を取る。

「……仕方ないな。ダイス、女性に声を掛けるのも良いが任務を忘れぬようにな」

「ははは、手厳しいなイグニス様は。わーってますよ、今回の任務は“不要品の処分”でしょう? んじゃ、また後でー」

 本気なんだか冗談なんだか分からない忠告に相変わらずの笑みを返し、ダイスは広間の中央――ダンスに興じる男女の輪に入っていくイグニスとフィアンマを見送った。
 不要品の処分――三賢者の暗殺をそう称したダイスも、その場を離れ歩き始める。
 さて、自分も適当にターゲットを見付けなければ――そう思い視界に映る人々を眺めた、その直後。

「あれ、ダイス? 奇遇だねぇ、こんな所で会うなんて」

 背後から聞こえた、聞き慣れた声。振り返ると、其処には派手な衣装の見慣れた男――コペルニケルの姿があった。
 普段通りの服装でも十分パーティらしい彼は正装姿のダイスを見て「何だか珍しいね」と感想を述べつつ、此方に近付いて来る。

「そーだな、普段あんまりこんな格好しねーし。……もしかして、コペも此処に“お相手”探しに来た感じ?」
「んー、探しに来たのはお相手って言うよりダイスかなぁ。やっぱり、行動するなら一人より二人がいいじゃん?」

 お相手はお相手でも、ダイスが探しに来たのは“処分”のお相手――つまりは暗殺対象であった。
 ダンスパーティで踊った相手を、その曲が終わる最後に音もなく抹殺する……そんな道楽のような殺害方法に浪漫を求めるのも、マフィアとしての歪んだ遊び心だろうか。

「マジで? だったら連絡してくれりゃ一緒に行ったのに」

「だってさー、もうダイスあのおじさん達と行く気だったじゃん」

 唇を尖らせるコペルニケルに、ダイスは「ンなの、お前が行きたいって言えばいつでも変えられたって」と首を傾げつつ返す。
 彼も少し考えていたようだが「……ま、いいや。こうして会えたしねぇ」と普段通りの様子に戻った。

 そうして行動を共にし始めた二人、その様子は傍から見ればダンスの相手を探す友人同士――と言ったところか。
 ダイスが実際に探しているのは別の“お相手”なのだけれど……それでも、本人の好みで探していることに間違いは無い。

 広間内に優雅な管弦楽器の調べが響き渡り、中央のスペースに集まった男女が踊り始める。
 ふと目をやった先にはイグニスとフランマの姿も見えて、ダイスは改めて室内の人々――特に連れの居ない一人きりで行動している女性へと焦点を当てた。
 ターゲットにするなら、矢張り男よりも女の方が良い。そして、彼氏連れや友人連れで来ている女は誘いを断られる可能性が高い――そんな単純な理由だ。

「……お、上物めっけ」

 ふと、ダイスの視線が一点で留まる。
 その先には豪勢な食事の並んだテーブルの傍で一人ぽつりと佇んでいる、猫を模したマスカレードを身に付けた紫色のドレスの女性が。少しの間観察してみたが、他に連れらしき者の姿は見えない。
 どうしてか目を惹く彼女――理由は分からないけれど、ターゲットとしては上等だ。
 条件を満たしているし、何より同じマスカレード。仮面を外して正体を晒す必要がない。

「何? どうかしたの?」

 不思議そうに尋ねるコペルニケルに「ちょっと遊んでくるわ、フェネイン頼んだぜ」と言い残したなら、視線は彼女へと注いだ侭するりと人々の間を擦り抜けて目的地へと向かう。
 その道すがら、立ち止まってサイコロを投げたならば出た目は六――冷静沈着な『暗殺者』の役だ。
 急激に感情が冷めて行くのを感じながら、ダイスは女性の元へと歩く。
 預けた相棒と残した友人の方は少し振り返ったけれど、すぐ人混みで見えなくなってしまった。
 それでも、あの二人――正確には一人と一匹ならば、大丈夫だろう。今は目の前の愉しみに集中しようと、紫色の背中に声を掛ける。

「御機嫌よう、お嬢さん。良ければ私と一曲いかがです?」

 淡々とした、抑揚の無い口調。それは不機嫌そうにも見えるけれど――暗殺者は確かに、その状況を愉しんでいた。
 本来ならば、ターゲットに堂々と接触するのは暗殺の道理に反するのかも知れない。けれど、衆目の前で仕留めるという“悪戯”に、氷のような彼の心は珍しく踊っていた。

「……ええ、喜んで」

 頷き答える彼女が言葉の割に喜んでいるように見えないのは、その表情を猫の仮面が覆い隠しているからだろうか?
 それでも、手を取ってくれたのなら交渉は成立だ。何時の間にか先程流れていた音楽は終わっていて、また中央に人が集まり出している。

 彼女の手を引き、向かうダンスフロア。やがて流れ始めた別の旋律に乗せて、二人は踊り始めた。
 お互い何も話さない侭ただ時は流れ、周囲の雑音以外はステップを踏む靴音だけが互いの鼓膜を揺らすのみ。
 仮面の下の表情は読めず、また会話を交わすこともない。
 そうして、曲が終盤に差し掛かった頃――ダイスはそっと、服の内側に忍ばせたアイスピックへと意識を向ける。
 段々とテンポが遅くなり、楽器の余韻が消え、遂に最後の音が消えた――その、瞬間。

「“シャドークロー”ッ!」

 離した片手を伸ばした先のアイスピック、それは確かに身を寄せた彼女の頸動脈を一突きする――筈だったのだが。
 突然強い力に吹き飛ばされ、ダイスは思わずアイスピックを握り締めた侭フロアの床に転がった。
 受け身を取り起き上がった彼に一瞬注目が集まるも、直後別のエリアで聞こえた轟音と悲鳴に人々はざわめく。どうやら、ファミリーの仲間が騎士団の誰かを襲っているようだ。
 どよめきを他所に、ダイスの視線はただ一点――自分を吹き飛ばした彼女へと向けられている。その手は影のようなオーラを纏い、それが彼女の扱う“魔法”なのだと強制的に理解させた。

「殺意が駄々漏れよ? マフィアさん? な――……っ!?」

 猫のマスカレードを纏った彼女は冷ややかにそう告げる――けれど、その視線がダイスの顔に向けられた瞬間、彼女の雰囲気が色を変えた。
 唇はわなわなと震え、手を覆う鋭い爪の形を成した影も一瞬の内に霧散する。
 そして、彼女は覚束無い足取りでフラフラと此方に向かい――そして、目の前に座り込んだ。

「ね、ねぇ……貴方――ロイドよね? ロイドなのよね? どうして貴方が此処に居るの……?」

「……えっ?」

 信じられないと言わんばかりの表情で、此方をジッと見詰める彼女。
 伸びてきた掌が頬に触れ、其処でダイスは漸く自分の仮面が先程吹き飛ばされた拍子に取れたのだと気付いた。
 周囲が混乱と悲鳴に包まれる中、二人の間だけ時間が停まったかのように彼女は彼女自身の仮面を静かに外す。
 その下の顔を見た瞬間、ダイスの中で――何かが、目覚めた。

 具体的にその感覚を何と形容したら良いかは分からないけれど、身体の、心の、意識の奥底から得体の知れない物が這い上がって来るかのようなそれは一瞬で暗殺者の“役”を忘れさせる。

「……ねぇ、ロイド。私の事、覚えてる?」

「――ミー、シャ?」

 仮面の下から現れたのは、初めて見る筈の――けれど懐かしい“彼女”の顔。
 嘗てダイスが失った記憶の中に住む、幼馴染の少女――ニャルマー♀の、ミーシャ・リンクスの姿で。

 呆然とするダイスの手を彼女――ミーシャが取り、軽く引く。その表情は未だ混乱の色を残しているけれど、今何をすべきかは分かっているようだ。
 ダイスはそれに抗うこと無く、ただ驚いたような無表情を浮かべその導きに従おうとした――その時。

「ちょっと、ダイスを何処に連れて行く気!?」

 響いた声に、ミーシャとダイスが振り返る。其処にはコペルニケルが居て、傍らには先程までダイスが被っていた面を抱え不安げに揺れるフェネインの姿があった。
 ミーシャがダイス――彼女の言う“ロイド”を庇うように立つと、彼は明らかに不機嫌そうな表情を浮かべ彼女を睨み付ける。
 じりじりと交代するミーシャ、そして――僅かな隙を突き、一目散に駆け出した。手を引かれるダイスは、彼の声にも、慌てて後を追いかけて来た相棒の方を振り返る事もせず。

「ねぇ、何処行くの? ダイス! ダイスってば――!」 

 見知らぬ誰かの声が響いていると、機械的に足を動かしながらダイスは考える。
 自分が何故此処にいて、何故走っているのかも段々分からなくなってきた。

 唯一つ分かっているのは、自分が嘗て失った筈の記憶――幼少期の記憶を、取り戻したのだということのみで。

 その後ダンスホールを抜けた二人が何処へ向かったのか、相棒以外に知る者は居ない。

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(お子さんお借りしました!)
コペルニケルさん@Aノ193さん宅