――ホウエン地方、海上。

 大型のクルーザーが進む前方には巨大な空母の姿があり、上空にはバラバラと音を立てて空母へと向かうヘリコプターが群れをなしていた。
 そして周囲の海上には、砂糖に群がる虫のように空母へと群がる姿形も様々なクルーザーの姿――これも、その一つだ。
 風に赤髪を靡かせながら、強風に怯える相棒のビビヨン――フェネインを抱えたシルクハットの中に匿いつつダイス・ハロウはその壁のような船体を見上げていた。

「なぁ、本当にこっからあんなデカい所に乗り移れんの?」
「……案ずるな、策はある」

 疑問を投げ掛けた相手――ダイスと同じ赤色に黄色混じりのオールバック、厳しい顔つき、全体的に渋いブラウンで統一された服装、そんなマフィア然とした中年男性は、真っ直ぐ空母を見据えた侭ダイスの方を見ずに答えを返す。
 具体的な説明は何一つなされていないけれど、ダイスにとっては彼の肯定がある――それだけで安心材料としては充分だ。

 流れ者のマジシャンとしてカロスを流浪していた自分を拾ってマフィアの道を進ませてくれた恩人であり、直近の上司。ダイスにとって彼――イグニス・ジャットは、そんな存在だった。

 今回同行を志願したのだって、少しでも彼の力になりたかったからだ。

 ……と、そんなダイスの視界の端に映った小さな船。それは明らかにカロスのクルーザーではなく、クルーザーの壁に掛かっていた双眼鏡を覗けば船体に「ホウエン海軍」の文字がでかでかと刻まれているのが分かる。

 その進路を目で追うと、真っ直ぐに空母へと向かっている――のではなく、どうやら戦闘の際に空母から落下した味方を救助する船のようだ。

「……お、何だ? ありゃ。イグニス様、オレあっち行って良い? てかさ、オレ港の方に行ってみたいんだけど」

 双眼鏡を離したその双眸は、好奇心に満ち溢れていた。三巨頭の命令は“空母を潰せ”だったけれど――自分一人くらい、道を逸れたって特に影響はあるまい。

 ホウエンという未知の土地に何があるのか、少し見物したって罰は当たらないだろう。イグニスは「好きにしたら良い」と、ちらりと此方を振り返ったのみ。

 喜び勇んで運転手に「あの車を追ってくれ! ……なんてな、あのちっこい船に近付けてくれるか?」と告げたならば、振ったサイコロの目は五――臆病な「拷問師」の役で。そして軈て接近した其処へと――勢い良く、飛び移った。

 それから先は、あっと言う間。「ご、ごめんなさい!失礼します!」の謝罪と共に、突然の乱入者に驚く船員達へブーメランを浴びせ電気鞭をお見舞いする。

 元々救助が目的の船ということもあるのだろうが、其処まで手強い乗組員は居ないようだ。普段ならば制圧した船の甲板から乗組員を放り出している所だが……臆病なスピンロトムの己に、そんな非道な行為は出来ず。

 両手両足を縛って狭い船室に押し込むのも相当だと思われるが……それを「優しい良い事」と思い込みながら、ダイスは船を港へと走らせたのだった。
 そうして、向かうこと数十分。味方の船だった為か軍からの攻撃は無く、少し迷った後――敵の多そうな駐屯地は避け、少し離れた場所にあるガランとした雰囲気の建物へと向かうことにした。

「何にも無い……出払ってるのかな」

 内部に繋がる門は開きっ放し、其処に他の船の姿は無く完全に空っぽ状態のようだ。きっと、海軍の船が集まる中でも小規模な部類の整備場か何かなのだろう。

 船を停めて降りたダイスは物珍しそうに、その高い天井や奥に並ぶ資材の山を眺めながら誰も居ない建物内を歩く――と、その時微かながら人の声が聞こえたような気がして。

 周囲を見回すダイス、何時の間にかシルクハットから出て来たフェネインの導く侭に歩くと少し先に扉があるのに気付くだろう。そっと耳を近付けた扉からは、微かに人の声が漏れ出ている。

「悪いな、こんな状況で……。けど、お前の弁当を食べ損ねずに済んで良かったよ。有難うな」
「いいのよ、夫に弁当を届けるのは妻の役目ですもの」
 男と女の会話、どうやら二人は夫婦のようだ。少し黙って様子を伺っていると、話の内容から男の方が此処に務める整備士らしい事も分かった。
 ……成程、此処の作業員か。静かに広角を上げたダイスはシルクハットをフェネインに持たせてゆっくりドアノブに手を掛け――そして、思い切り開け放つ。

「こんな状況で夫婦水入らずですか? ……羨ましいですね、そんな相手が居るって」

 驚いたように此方を見るのは、小さい穴の開いたヘルメットからデデンネの耳を出している男と黒い角のような突起を生やした女――この二人は亜人だろうか?

 ダイスの予想した通り、幾つかの机と椅子が並ぶ休憩室らしき部屋にはその二人以外居ない。ただ今は人目を気にするよりも先に二人へと近付き、そして男の方に容赦無い電気鞭を浴びせた。

 男の方を先に選んだのは、先に抵抗されるのを防ぐ為だ。こんな状況で残っているというのを鑑みると非戦闘員なのだろうが、それでも油断は出来ない。

「うぐっ……キアラ、逃げろ……!」
「あなた! ソルチオさんっ!!」

 突然の事に反応出来ず、椅子から落ちて床に転がる作業員――胸に「ソルチオ・フォルトゥナータ」と刻まれた名札を付け、ツナギの尻部分から長細い尻尾が伸びているソルチオと呼ばれた壮年の男は、妻――白髪赤目でソルチオより少し歳下にも見えるキアラと呼ばれた女性に絞りだすような声を掛ける。

 女の悲鳴じみた叫び声が届くよりも早く、ダイスは抵抗の意思を見せた女の方に向かって電気鞭を振るった。ビリビリと電流が流れるそれは“でんきショック”そのもの、声すら出せずに彼女は倒れ伏せる。
 乱暴にその首を掴んで持ち上げたなら、少しずつ、少しずつ力を加えて――緩める。空気を求めて開いた気管を、また締める。それを行うダイスの表情は悲しげで、しかし楽しげでもあった。
 二人に何か聞きたい事がある訳では無いし、確固たる目的がある訳でもない。ダイスは、スピンは……単に、誰かを拷問したかったのだ。ある意味、欲求不満に解消と言い換えても良いだろう。単に遊んでいるだけだから、勿論殺す気は毛頭無いのだけれど。

「やめ、ろ……キアラに手を出すな……!」
 苦しげに呻きながら床に転がる作業着姿の男を一瞥しながら、男の視線の先で女性の首を締める赤髪の男――ダイスは困ったように眉尻を下げて女性の方へと向き直る

 息を完全に止めぬ程度に首を絞め、時折緩める。かと思えば、また締める――その、繰り返し。足元に落ちた電気鞭は未だバチバチと火花を散らしていて、女性の両手はだらんと麻痺したように下がっていた。

 男に向けた視線は申し訳無さそうなそれ、しかし口にしたのは全く見当外れの言葉だった。それがわざとなのか否か――それは、男には分からない。

「ご、ごめんなさい……もっと上手くやりますから。もっと――楽しんで、貰えるように」

 人が苦しんでいるのを見るのは辛い、でも愉しい――困ったように笑う青年の瞳は、倒錯的な快感に揺れている。男は化物でも見るかのように、ダイスを見上げた。
 夫婦に突然降りかかった理不尽な災難は――まだ、続きそうだった。少なくとも、ダイスはそう思っていたのだけれど。

 ……瞬間、鳴り響く電子音のクラシック。聞き慣れたそれは上司がよく部屋で流していたレコードの其れだ。

 驚いたように動きを止めて片手でズボンのポケットから通信機を取り出し、その画面に表示された「IGNIS」の文字を確認して「もしもし……」と恐る恐る通話を開始する。

『ウム、私だ。……その口調は、スピンか』
「あ、えっと、はい……。イグニス様、どうかなさいましたか?」

 聞き慣れた上司の声、片手で首を掴んだ女性の呻き声が溢れるのも構わずダイスは其れに応答する。長い付き合いだ、今更彼が第一声だけで現在のダイスの”役”を言い当てた所で何の疑問も抱かない。

 麻痺による痛みや痺れに耐えながらも息も絶え絶えに這い寄って来た男を、その姿も見ずに蹴飛ばし黙らせながら緊張気味に彼へと尋ねた。

『今、空母の中におるのだがな……道中で中々面白いモノを見付けたのだ』
「面白いモノ……ですか?イグニス様、それってどういう――」

 尋ねようとした、直後。受話器越しに聞こえた鈍い音、そして若い男の物らしき――悲鳴。そして微かに受話器が拾い上げた「助け……ニアさ、…けて……ルタニアさん……」と誰かに助けを求めるような声。

 聞き覚えのある名前が聞こえた気がするけれど、それよりも現状の把握をせねばなるまい。とは言え彼に尋ねるまでもなく、大体察しが付いたダイスはその質問の続きを口にすることは無く。

 それは十中八九、拷問の餌食になった誰かを示すのだろう。ダイスに拷問の技術を教えこんだ謂わば“師匠”であり、自身の其れより更にえげつない手法の数々を心得ている彼――その犠牲者には、見ず知らずの敵ながら一抹の同情さえ抱いてしまう。

「それで、どうして僕に?」
『用件など決まっておるであろう。ダイスよ、時計を見ていないのかね』

 当然だと言わんばかりの口調に、不思議そうな面持ちで辺りを見回し――漸くダイスは「ああ、成程」と声を出した。休憩室の壁掛け時計、その針が指し示す時刻、その全てが通話相手の言いたいことを物語っているようで。

 その納得気味な声が聞こえたらしく、受話器の向こうからは『詳しい場所はジョセフィーヌに案内させよう。なるべく早く来給え』との言葉を最後に通話終了を示す音が鳴り通信は途絶えた。

「……イグニス様の命令だしね。おじさん、おばさん、あんまり楽しませてあげられなくてごめんなさい。それじゃあ、またいつか」

 それが現在進行形で拷問――スピンダイスの言う“楽しみ”を受けている夫妻にとって幸か不幸かと問われたなら、答えは圧倒的に前者だろう。それを後者と捉えているのは、世界広しと言えど恐らくダイス本人ただ一人である。

 腰の低い言葉とは裏腹に首を掴んだ侭の女性をポイっと物でも扱うかのように男性の方へと放り投げたなら、気絶しているのか無反応の彼女を男が慌てて身体で受け止める。そして、息があるのを確認したのか一瞬安堵したような表情を浮かべたもののキッと此方を睨み付けた。
 それを毛ほども気に留める様子は無く、寧ろ丁寧に「さようなら、お邪魔しました」なんて告げてぺこりと頭を下げたなら休憩室の扉を開け放して外へと飛び出そう。扉を閉めなかったのは、そうすれば誰かが彼らを発見して介抱するだろうという完全に他人任せ且つ救いとはとても言えないレベルの気遣い。

 その数秒後にはもう二人の事など意識の外へと追いやり、ダイスはフェネインからシルクハットを受け取って再び此処へ来る際に使った船へと乗り込んだ。船室に押し込んだ船員達を無遠慮に踏み越えて、目指すは上司の待つ空母。

 次はどんな“楽しい事”が出来るのか――気弱そうな表情に隠れた期待の眼差しが、じっとその目的地を捉えていた。



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名前だけお借りしました!

ルタニアさん(@小慶美さん宅)


登場モブキャラ簡易紹介(表記無しは自宅エアー)

ソルチオ・フォルトゥナータ(デデンネ♂)
ホウエン軍に所属する、カロス生まれホウエン育ちの亜人。腕の立つ機械整備士だが、いつもは面倒くさがり屋のおっさん。

普段は船やら戦闘機やらの大きなものから通信機などの小さなものまで色々な機械を直したり点検したりしている。

キアラ・フォルトゥナータ(アブソル♀/@小慶美さん宅)
ソルチオの妻、シンオウ出身の亜人で結婚を機に仕事を辞めた元軍人。優しくて料理の上手い、とても良い奥さん。

イグニス・ジャット(カエンジシ♂)
カロスファミリーに所属する中堅マフィアで、流れ者のマジシャンだったダイスを拾ってマフィアの世界に引き入れた恩人兼上司兼師匠。

ジョセフィーヌという名のメレシー♀を可愛がっており、傍から見ると威圧感溢れる強面だが実際は甘い物好きで可愛い物好きのお茶目なおじさま。