「ではまず、簡単に質問をしましょうか」

 

 くるくるとボールペンを回し、目の前に座る白衣の男は告げた。

 私はどうすれば良い。考えても解らない。言われるがまま、堅い回転椅子に腰掛けて私は頷く。

 

「質問其の一。

 近頃アルセウスを世界の創造主とする宗教と、ミュウを生物の起源とする新興宗教が対立しているようです。

 その事に付いて、貴方はどうお考えですか?

 回答は一切口外しないので、自由に意見を述べて下さい」

 

 感情の篭らない、機械的な目。

 私達は清潔感溢れる真っ白な部屋の中で向かい合う。

   

 ――そうですね、シンオウの文献によればアルセウスは世界の出来る更に前――混沌の中に出現したタマゴから産まれたと言われています。

   ですから、世界の創造主というのは間違いでは無いのでしょう。

   しかし、ミュウも全ての技を覚えられるため全ポケモンの祖先――つまりはポケモンの起源ではないかと、多くの学者に考えられています。

   だから双方の意見は正しいと思います。争いが起こっている原因は、ただ単に団体を率いている人間が愚かなだけでは無いかと。

 

「……成程、そうお考えですか。分かりました」

 

 回していたボールペンを止め、男はクリップボードに挟まれたカルテらしき紙に何かを走り書く。

 何故、どうしてこんな事をする必要がある。私は、一体何故ここに居るんだ。私はどうすれば良い。考えても解らない。

 

「では、質問を続けます。

 質問其の二。

 ミュウツーは、ミュウの遺伝子から人工的に作られたポケモン。……所謂クローンと呼ばれる存在です。

 しかし、現在ミュウツーは世界に一体だけの稀少価値の高い――幻のポケモンとトレーナーの間では崇められています。

 その事に付いて、貴方はどうお考えですか?

 これも先程の質問と同様、一切口外しないので自由にお答え下さい。

 尚、これから先続ける質問の全ては外部には流出しないので、遠慮無く貴方の意見をお聞かせ下さい」

 

 抑揚のない声で男は続ける。此方を見詰める眼にも、動作にも人間味が全く感じられない。 

 彼には感情が無いのだろうか?

 ああ、今は其れを考える時間ではない。与えられた質問に答えないと。

 

 ――クローン技術によるポケモンの創造が是か非かと聞かれれば、それはまた別の議論になりますが。

   どんな形で生まれたにせよミュウツーの純粋な戦闘力は、かのアルセウスをも凌ぐと言われています。

   その強さに惹かれて、幻と崇めるトレーナーが多いのではないでしょうか。

   ……人工物とはいえ、ポケモンはポケモンですから。

 

「………ふむ、貴方らしい発想ですね。

 では、次の質問が最後になります。今までお疲れ様でした」

 

 義務的に頭を下げ、白衣の男は眼鏡を直す。

 

 今までのどんな質問よりも、はっきりと、端的に。

 

 そして、真っ直ぐに私を見据え―――言った。

 

 

 

 

「質問其の三。

 

 貴方は、ユクシーの眼を見たのではありませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………ユクシーの眼?

 知らない。そんなモノ、私は知らない。

 

「本当に知らないのですか?そう思うのならば、貴方の名前を言ってみて下さい。名前でなくてもいい、年齢、出身地、両親の名前、好きな食べ物、何でも良いんです。

 何か一つでも、貴方自身の証明となるものを!」

 

 男の言葉に促されるまま、私は思考を巡らせる。

 名前、名前……名前、ナマエ、なまえ、なまえ。なまえ、ナマエ―――私の、ナまエ?

 

 解らない。何故、どうして。私の名前は?

 そうだ、年齢、ねんれいなら。

 私は、いつ生まれ、今に至っている?

 何故、解らない。何も出てこない。どうして、名前も年齢も、すぐに出てくる筈なのに。そういう物なのに。

 

「何故、自分の名前も年齢も分からない貴方が〈そういう物〉だということを知っているのですか?

 何故、自身の事は思い出せないのにアルセウスとミュウとそれらを取り巻く宗教対立に付いてはすんなり答えることが出来たのですか?

 何故、ポケモントレーナーの考えや主張やミュウツーの戦闘能力までもが分かるのですか?」

 

 煩い煩いうるさいうるさいうるさい!

 貴方には関係ないでしょう、私が何を〈知って〉いようと!

 

「関係在ろうと無かろうと、それこそ無意味なのですよ。

 さぁ、貴方は何故〈知って〉いるのですか?

 人が知り得ないことを知り、人が知っているであろうことを知らない。

 貴方は一体何者なのですか? 本当にヒトなのですか?」

 

 私が何者かだって?

 確かに私は自分の名前すら知らない。けれど私は人間だ、それ以外在り得ないだろう。

 けれどどうして、目の前に私がいるのにそんな事を聞く?

 

「本当に自分をヒトだと思うのなら、確かめてご覧なさい。

 貴方自身の姿を、その目で」

 

 何処か飽きたように、呆れたように男は右を指さす。

 右に何か有るのだろうか?

 私は恐る恐る、指された方を向く。

 

 

 

 鏡があった。

 何てことはない、壁に立て掛けてある普通の姿鏡。

 そしてそこには一人の人間――ではなく。

 

 

 

 

 薄青色の身体に黄色い頭部の、ポケモンが居た。

 双眸を閉じ、鏡の中の私をじっと見つめている。

 もしやあれが、私? そんな馬鹿な。

 そんな筈ないある訳がない。私は人間だなのに鏡に写る私はポケモンだ。

 私はどうしてここに居る?

 

「貴方は、腐った人間共に捕らえられ洗脳を受けたのですよ。

 敵を排除する兵器として扱われたのですよ。

 全てでなくてもいい、一部でも思い出せますか?」

 

 私が、兵器?

 否定する心とは裏腹に、両手にありありと甦る感触。

 無理やり覚えさせられたはかいこうせんで街や山を破壊するあの嫌悪感。

 戦いに敗れたてもなお傷つけたポケモン達の恨み言。

 

 いやだいやだおもいだしたくない。

 わたしはそんなことしらないしてない命令なんてされてない!

 なのにどうして、どうして悲しいのですか。

 思い出すことを拒否したい拒否できない。

 わたしはわるくないわたしはただわたしはわたしはわあああああああ

 

 

 ああ このそんざいの すべてを

 

 いまわしいきおくも なにもかも

 

 いっそ わすれて しまえたら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「流石は図鑑ナンバー480、ちしきポケモンのユクシーだけあるねぇ。

 テレパシーによる意思疎通から、サイコパワーによる記憶消去。

 ユクシーの眼を見た者は記憶を消されるって言うけど、本当だったのね。何度見ても信じられないわ」

 

「それはそうですよ姉さん。何せ知識の神とまで呼ばれるポケモンですから。

 しかしあの大殺戮の主戦力が、まさかユクシーだったとは思いませんでしたよ。

 我々が発見していなければ、今頃どうなっていたか……」

 

 白衣の女は部屋に入ってくるなり、男には目もくれず椅子の上でぐったりと眼を閉じ倒れているポケモン――ユクシーに駆け寄った。

 少女のように無邪気な笑顔でユクシーを胸に抱く姉に、白衣の男は淡々と告げる。

 そして、徐に椅子から立ち上がると姿鏡に近寄り……裏から一台のビデオカメラを取り出した。

 録画状態にあったビデオカメラを止め、再生のボタンを押す。

 つい先程までのやりとりを眺め、やがて不機嫌そうに眉を寄せた。

 

「駄目ですね、これじゃあ俺が一人で喋ってる危ないヤツみたいです。

 流石に、テレパシーを録音することは不可能です。

 それと、ユクシーが目を開いた瞬間だけ映像が乱れています。

 何か特殊なパワーが働いたのか、或いは………」

 

「理由なんて、あとで調べればいいわ。

 それより、今度は貴方達二人に脳波測定器を付けてやってみましょう!」

 

「また俺ですか!? 無感情振ってるのも限界なんですけど。

 というか、何回繰り返してるんですか。好い加減飽きました」

 

「そ、そう? まぁ貴方が言うなら仕方ないわね。私もやってみようかしら!」

 

「実は、姉さんがやりたかったんでしょう……?」

 

「よし、そうと決まれば早速装置をセッティングよ! ユクシーにもね! ほら、早く!」

 

 ふぅと溜息ついて口調を崩す男に、女は興奮を隠しきれない様子で頷く。

 そんな姉に呆れながらも、カメラを抱えいて行く男。

 ふと、去り際に真っ白な空間に取り残された椅子を見る。

 自身の脳内に直接響いた、あの悲痛な声。

 罪の意識から己に関する一切を消し去り、代償として精神を壊したあのポケモン。

 

 

「罪悪感に苛まれて生きるのと、永遠に自分が何者か知らないで生きるの……どっちが不幸なんだろうな」 

 

 

 

 

 

 

 

 気付くと私は白い部屋にいた。

 目の前には、白衣を纏った女が椅子に座っている。

 私と目が合うと同時に、女は微笑みながら言った。

 

 

「ではまず、簡単に質問をしましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

ユクシーの眼

 

 

(見たくない、知りたくない)

(繰り返す、繰り返す)

 

(2012/04/02)