僕は、昔から彼の傍に居た。

 僕は、昔から彼のパートナーだった。

 僕は、昔から彼の事を愛していた。

 

 

言葉の通じぬ彼と僕

 

 

「タテトプス!そろそろメシにしよう!」

 笑いながら、彼は僕の前にポケモンフーズの入った皿を置いた。すぐさま僕はそれにかぶり付く。

  

 シールドポケモン、タテトプス。それが、僕の名前。彼、ムゲンの唯一の手持ちであり、パートナーだ。

 思い出せぬほど昔から、僕は彼の隣にいた。

 その頃から、僕は彼が大好きだった。

 どんな時でも僕は彼の隣で、泣き、笑い、時に励まし、常に支え合ってきた。

 その頃から、彼はこの世界を夢見ていた。

 どんなに他人から嘲笑われ、否定され、馬鹿にされても、彼はそんなの物ともせず、必死でこの世界を探していた。

 周りの冷たい目も気にせず、いつも明るく笑っている。

 周りに干渉されぬ、強い信念を持った彼。富も名誉も関係なく、純粋に研究を続ける真っ直ぐな彼。どんな時も優しく、自分と同じくらいかそれ以上に重い僕を抱き上げてくれた彼。

 僕は、そんな彼が大好きだった。永遠に一緒に居たい。彼の隣に居続けたいと思った。

 

 でも、そんな幸せな時間は長く続かなかった。アイツが現れたからだ。

 

 

 

 

 

 ゼロ。

 

 いつの間にか、アイツは彼の隣に居た。

 そして、いつの間にか、アイツの方が僕よりも彼に近い存在になっていたんだ。

 かつて僕を見てくれた彼は、今では僕以上にアイツを見ている。否、アイツしか見ていない。

 彼の隣にいた僕が、いつの間にかアイツと摩り替わってしまった。

 僕を見る彼の目が『唯一のパートナー』から、『手持ちポケモン』に変わっていく。

 

 僕は、ずっと我慢していたんだ。

 幸い、アイツも彼にとっては唯の助手だ。ポケモンと人間の差はあれど、このまま頑張ってアピールすれば、彼はきっと僕を見てくれる。そう信じてた。正確には、そう信じなければ、耐えられなかったんだ。

 でも、僕は甘かった。なんて事無いと思っていた差は、決定的な違いだった。

 気づいた時には、もう遅かったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕が《それ》を見つけたのは、まだ彼が反転世界に行く方法を模索している頃だった。

 外の時間も分からぬラボで、僕は薄暗い廊下を歩きながら彼を探していた。アイツより少しでも多く、彼のそばに居たかったから。

 短い4本の足で歩き回るうち、開きっぱなしのドアの向こうに彼を見つけた。僕は、真っ直ぐにそこへ飛び込んで行く。

 辺りを見回すが、アイツの姿は無い。僕は、内心ガッツポーズをしながら彼の後ろに立った。

「タテト!」

 ムゲン!と、椅子に座っている彼の名を呼ぶが返事どころか反応もない。回り込んでみると、椅子に座りながら彼は寝ていた。猫背になって、偶に少し動く。僕は、そんな彼が可愛くてならない。

 不意に、彼の首がカクンと傾き、勢いで白衣が少しずり落ちる。何気なく、露になった彼の肩に目をやった直後、僕は自分の目を疑った。

 

 

 

 

 彼の肩には、鮮やかな赤い痕。

 

 

 

 それがどういう物かが分からず、僕は数秒間固まっていた。

 認めたくない現実を拒絶するかのように、僕の思考は活動を停止する。だから、込み上げて来た怒りと悔しさと悲しみに、気付かなかったんだ。理解できない感情の代わりに、急に居辛くなったような気がして。

 僕は、その部屋を飛び出して行った。

 

 

 

 

 

 どれくらい経ったのだろう。どれくらい歩いたのだろう。僕は薄暗い廊下に佇んでいた。

「…タテトプス?」

 聞き覚えのある声に、僕はゆっくりと振り返る。そこには、資料の束を抱えたアイツが立っていた。

「先生を探しているんだ。何処にいらっしゃるか知らないかい?」

「タト」

 知らないね。僕は無愛想にそう答え、首を横に振った。アイツは「そうか」とだけ言って、僕の横を通り過ぎて行く。僕とアイツのやり取りは淡白に終わる。

 だが、アイツの体が僕の横に来た瞬間、僕は聞いた。

 

 

「先生は既に私の物だ。ポケモン如きが、邪魔をするな」

 

 

 アイツが恐ろしく冷たい小声でそう呟くのを。その言葉の意味を理解して振り返った時には、アイツはもう居なかった。

 さっきの彼の姿が脳裏に浮かぶ。そして、アイツの言葉がリピートされる。

 二つの現実が、頭の中で繋がった。

 

「タトオオオオオオオォォォォォォッッッッッッ!!!」

 

 

 

 

 あああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっっっ!!!

 

 気が付けば、僕は大声で泣き叫びながら廊下を滅茶苦茶に全力疾走していた。

 恐れていた事態が起こってしまったから。

 否定したくても、否定できる要素が一つも無かったから。

 何が「タト」だ。彼に伝わらなければ、こんな声、意味は無い!

 

 時既に遅し。彼はもう、アイツの物になってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 泣いて、叫んで、走って、僕は誰も居ない部屋に飛び込んだ。暗い部屋の中で、僕の泣く声だけが響く。少しだけ落ち着いた頃、僕は必死で考えていた。

 

 分かっていたさ。ポケモンの人間に対する一方的な愛が報われぬ事くらい。

 分かっていたさ。最初から、彼が僕をポケモン以上の存在として見てはいない事くらい。

 分かっていたさ。ポケモンの僕に勝ち目が無い事くらい。

 

 でも、どうしようもないんだ!だって、本当に僕は彼を心の底から愛していたのだから!

  悲しみが広がり、再び涙が零れ落ちる。悲しみの後に来る感情。それは、憎しみ。

 

 何故、僕じゃなくてアイツなんだ?

 何故、僕は人間に生まれなかったんだ?

 何故、アイツが此処に来たんだ?

 何故、彼はアイツと出会ってしまったんだ?

 何故、ポケモンの言葉は人間に通じないんだ?

 何故、何故、何故?

  

 何で、彼はあんな根暗で鬼畜で腹黒いアイツを選んだ?

 何で、彼は長年一緒に居て彼自身を大切に思っている僕を選ばない?

 何で、何で、何で……。

  

 憎い。僕から彼を奪ったアイツが、憎い。殺してやりたい程に。

 そうだ、アイツを殺せばいい。泣きながら、僕は笑った。

 アイツを殺せば、彼は僕を見てくれる。アイツが居なくなれば、きっと彼は僕を愛してくれる。

 そうだ。アイツさえ居なければ……。

 まるで何かに取り憑かれたようにフラフラと歩み、僕は部屋を出た。そして、僕が殺すべき対象を、アイツを探す。

 歩いている間、僕は狂ったような、否、本当に狂っていたのかもしれない。狂気の笑みを浮かべながら、アイツに攻撃する事だけを考えていた。

 

 

 

「あ、おい!タテトプス!」

 反射的に、僕は反応した。彼の声が聴こえたから。

 顔を上げると、白衣を着た彼が笑いながら手招きしていた。僕は純粋な笑顔で彼に駆け寄る。

「次元の渦を探知する道具の試作品が出来たんだ。一緒に実験しよう!」

 楽しそうに笑って、細い腕で彼は優しく僕を抱き上げる。

 歩きながら楽しそうに話す彼を見て僕は、さっきまでの狂気と殺意が、消えていくのを感じた。

 何故か、研究室でアイツを見ても僕は殺意も何も感じなかった。きっと、僕は心の底で諦めたんだ。

 気分が軽くなったような気がして、僕は自然とアイツに笑いかける。

 これで良いんだ。アイツは人間で、彼も人間で、僕はポケモン。

 これで、良いんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数年後。僕達は反転世界に入り、ギラティナと出会い、研究を続けた。

 そして、彼は自分の間違いに気付き、ギラティナの能力をコピーする研究を止めた。

 その翌日、アイツは彼の元を去った。

 

 内心、とても嬉しかった。これでまた、彼と二人きり。長年の望みが、今叶ったんだから!

 でも、それは大きな間違い。

 

 

 

 彼は、アイツが去ったその日から、笑わなくなってしまったんだ。

 

 

 

 

 厳密に言えば、彼が笑う回数は増えた。不自然なくらいに。

 しかし、今までの楽しそうな笑いではなく、機械的な、演技のような笑いになってしまったんだ。

 最初にその笑顔を見たとき、僕は彼の考えにアイツが納得できなかったからだ、と考えていたが、違う。

 

 

 彼は既に身も心も全部、アイツの物になっていたから。

 

 

 反転世界で何処か遠くを見ている彼を見て、僕はそう感じた。

 

 僕と彼は、互いにかけがえの無い存在で、パートナー。

 僕はそれ以上の存在ではいけない。なってはいけないんだ。

 僕はポケモンで、彼は人間。種族違いの恋が、実る事は決して無い。

 

 それでいいんだ。僕はずっと、パートナーとして、彼の傍に居る。たとえアイツが居なくなっても、彼は僕をパートナー以上に見る事は無い。それでいいんだ。

 

「タトト…」

 それでいいんだ……、と。 

 小さく、口に出してみる。呟くと同時に、一筋の涙が頬を伝った。

 

 

 

(それでも、僕は)

(たとえ種族が違っても、貴方を愛して良いですか)

(2008/11/08)

(2010/07/20 微修正)