「あ、ちょ、触るな! お前、さっきチョコレート食ってたろ! しかも銀紙使わず素手で! おい、聞いてるのか!」

 

 ……ばれてたか、仕方ない。機嫌を損ねて回線切られても困るし、さっさと洗って来よう。勿論、石鹸で。彼って、こう言う所には煩いのだ。

 

作業用の机と、多様な本が詰め込まれた棚。そして、背後には簡素なベッド。照明と言えば、天井の蛍光灯と机のスタンドライト。そして、窓から差し込む月明かりくらい。

閑静な住宅街に建つ、ごく一般的な一軒家。その二階に宛がわれた、決して大きいとは言えないが小さ過ぎる事も無い部屋。

それが、私と彼らの城だ。

 

「汚れた手でキーボードに触るなって、何度も言ってるだろうが。この駄目主人」

 

 む、それは言い過ぎじゃないか?

 とは思ったけど……実際何度も触ってしまっているのは事実だし、機械相手にムキになるのも大人気ない。

 それに、彼は何だかんだ言って、私の為に日々尽くしてくれているのだ。この程度の罵倒くらいは、大目に見ようか。

 

「悪かったってば。ほら、ちゃんと洗って来た。これで良いだろう?」

 

「ちゃんと石鹸で洗ったか? ……うん、それで良い。

 で、今日は何の用だ。 調べ物? お絵描き? チャット? 動画? それともネットサーフィン?

 別にゲームとかでも良いが……この間みたいに、ソリティアぶっ続けで一時間近くとかは止めてくれよ?

 あの時は、マジでバッテリー切れるかと思った。お前、ずーっとベッドの上で抱え込んでるんだもん。ちったあ、充電しろっての!」

 

「はいはい、あれも悪かったよ。ついつい熱中し過ぎてしまってね。

 今日は調べ物。珍しく真面目に遣っているから、回線とは仲良くしてくれよ?」

 

「はいはい、努力しますよーっと」

 

 鸚鵡返しに頷き、気だるげな返事を返す彼。ベッドの上でノートパソコンを開くと同時に、双眸は閉じられ身体は糸が切れたように床の上で動かなくなった。

 私がパソコンを使用する時のみ、彼の意識はかりそめの身体を離れCPUへと返る。この瞬間、私は一抹の虚しさを感じるのだ。

 彼は、当然ながら本物の人間ではない。彼のようなパソコンに限らず、携帯も、DVDプレーヤーも、冷蔵庫もそうだ。

 幾らCPUを持ち考える能力を有し、仮初の肉体と人格を手に入れたところで、機械は所詮機械。人間には成り得無い。そうと解っている筈なのに。

 

 一人暮らしの若者や老人向けに、どこだかの企業から発売されて早一年。人間を模した機械達の器は、未だ売れ行きが伸びているらしい。

 我が家の台所にも一人――否、一体か。凍てつくような目をした少年が冷蔵庫の横に鎮座している。

 私が赤ん坊の頃に座っていた椅子に腰掛ける彼は、時折ぼそぼそ声で傷みかけている果物や野菜を教えたり、家族の愚痴の聞き手になったりするのが主な役目。

 一度「虚しくないか?」と問い掛けてみたが、答えは返ってこなかった。…… ……どの家の冷蔵庫も、こんなモノなのだろうか。

 まぁ、明るくお喋り好きな冷蔵庫というのも、あまり見ない気はするけれど。

 

「ご主人〜、大変っすよー!」

 

 唐突に、どたどたと間の抜けた音と声が廊下の方から響いた。目を遣る間もなく扉が開かれ、小柄な少女が飛び込んで来る。

「緊急事態なのは解ったから、もう少し静かに階段を上がれないかい?」

 

「それ所じゃねぇんっすよ! 如何にも怪しげなメールが来たんっす!

 こりゃきっと、オイラのデータを全消しする魔のウィルスに違い無いっすよ」

 

「うん、相変わらず突っ込み所満載な奴だね君は。取り敢えず、一応は女の子なんだからオイラなんて古い一人称はどうにかしなさい。それと、届いただけで作用するウィルスなんて滅多に無いよ。見せてみなさい」

 

 彼女は、私の携帯電話――否、自分自身をずいと差し出す。

 私は最早慣れた手つきでメールをチェックし……ああ、矢張りただの迷惑メールか。

 はい、削除っと。

 

「もう大丈夫。消去したよ」

 

「本当っすか!? サンキューっすご主人!これでモーマンタイっすよ!オイラの身はウィルスの危機から免れたっす!」

 

「だからねぇ……」

 

 相変わらず、人の話を全く聞いちゃいない。自分の携帯ながら、大丈夫なんだろうか……この子。

 言い掛けたのを全く聞かずに、とっとと部屋を飛び出して行ってしまった。

 ふぅ、と息をついた所で、気づく。

 

 パソコン、ずっと付けっ放しだたなー………。

 

 

 

 

 

「てんめぇ……何度言えば解るんだドアホ!」

 

「面目ない……」

 

 慌てて電源を切ると、案の定飛び起きた彼に怒られた。

 現在彼は、ベッドの上で胡座をかいて腕組み。

 

 対する私は、ノートパソコンを机の上に置きベッドの上で正座している状態。

 ああ、また遣ってしまった。こういう所が私の駄目な部分なのだ。

 額に青筋を立てる彼は暫く私を睨みつけていたが、やがてふっと息を吐き。

 

「本当、気を付けてくれよな……俺達機械の寿命は短いんだからさ」

 

 責めるというよりは、諦め気味に呟いた。

 その言葉が、私の心を酷く締め付ける。

 きっと君達機械にとって、私は使用者――ただの主人でしかないのだろう。

 

 ならば、私にとって君達は?

 ただの道具? ……それだけは、違うと言える。

 道具でないのなら、何? 友達? 家族? 

 解らない。どうして、解らないのか。

 

 

「うわっ……!? ちょ、おま、何を――」

 

 ただ、確かめたかった。

 彼の腕を引っ張り寄せ、倒れ込んで来た身体を抱きしめる。

 

 冷たい。

 

 血が通っていない形だけの肉体だから、当然といえば当然なのだけれど。

 驚いたような声をあげた彼も、私がふざけてやっている訳ではないと解ると抵抗するのを止めた。

 

 沈黙。

 

 とくん、とくんと、私の心臓の音が小さく聴こえる。

 彼の心臓の音は、聴こえない。

 

 この気持ちは、何なのだろう。

 恋愛感情では、無い。それは断言出来る。

 私の知っている恋愛感情はこんなに静かじゃないし、そもそもパソコンに恋愛感情を抱くなんて異常過ぎる。

 しかし、普通のノートパソコンには抱かない感情であることも確か。

 恋愛感情でなければ、何?

 

 友情なのだろうか?

 しかし、友情にしては重すぎる。私にも一応親友が居るが、これほどまでに大切だと思っては居ない。

 ……決して、友人を蔑ろにしている訳ではないんだ。ただ、どちらを選ぶかと聞かれたら、きっと迷った末に友人ではなく彼の方を選ぶだろう。

 彼は、私の事をどう思っているのだろうか?

 

「ねぇ、私の事が好きですか?」

 

「……好きか嫌いかで言ったら、好き」

 

「どんな風に?」

 

「どんな風って……意味解んねぇよ」 

 

「いいから、具体的に教えて下さい。私は、貴方の眼にどういう風に映っていますか」

 

 表情こそ見えないが、声に困惑の色が滲み出ている。

 

 再び、沈黙。

 

 月明かりが照らす部屋。ベッドの上で抱きしめる私と、抱きしめられる彼。

 体勢だけ見れば恋人同士のように見えなくもないが、機械と人間の恋愛なんて有り得ない。

 なのに、何故こんな事を考えてしまうのだろうか。

 自分の夢見がちさに内心苦笑していると、不意に彼が口を開いた。

 

「お前はいつもキーボードに汚れた手で触ったり、充電無しで長時間やったりするような駄目主人だ。

 けど、それは俺を使用する為であって、俺を使用するってことは俺を必要としてくれている訳で……。

 必要としてくれる人に好意を持つのは、機械だけじゃなくて人間も似たような物だと思うんだ。

 それに、お前は充電したりディスプレイを拭いてくれたりするからな。ウィルスソフトだって入れてくれるし、定期的にデフラグもしてくれるし……。

 だから――ギブアンドテイクみたいな? 否、違うな。ギブアンドテイクなら、好き嫌いなんて関係ないだろうよ。

 何つったら良いんだろ。――――ああ、そうか。

 ……相互依存、なんだろうな。結局」

 

「相互、依存……?」 

 

 言葉ぐらいは聞いたことがある。

 よく共依存という言葉と混同されがちだが、共依存は病的な意味合いを含むのに対して相互依存は肯定的に捉えられている…………ような事を聴いた覚えがある。

 まぁ、私の記憶なんて大抵宛にならないけれど。

 農家の人が魚を食べる為には、漁師が魚を出荷しなければならない。同様に、漁師が野菜を食べる為には、農家が野菜を出荷しなければならない。

 昔どこかの本で読んだ喩えなので間違っているかも知れないが、このような関係を相互依存と呼ぶらしい。

 

 嗚呼、成程。それなら全て合点が行く。

 私は道具である彼に依存し。彼は使用者の私に依存し。

 否、私達だけではない。

 

 冷蔵庫の番人は私達家族に依存し、私達家族は冷蔵庫横の少年に依存する。

 暴走気味の携帯電話は私に依存し、私は暴走気味の彼女に依存する。

 私達の生活と切っても切り離せない、機械という存在。

 機械を作り出し支配している、人間という存在。

 

 互いに依存し、成り立っている不安定な存在。

 私も、その一人だったというだけの事。

 何だ、実に簡単な答えじゃないか。

 

「君は、相変わらず頭が良いね」

 

 さらさらの髪を指で梳きながら、ゆっくりと腕を解く。間近で見た彼の顔は、珍しく真剣そうな面持ちだった。

 

「……お前は俺のことを、どう思ってる」

 

「何ですか、藪から棒に」

 

「んなこたぁ無ぇだろ。俺が答えてやったんだ。お前も答えやがれ」

 

「んー、そうだねぇ……」

 

 ふっと笑って、彼の額に軽くキス。

 訳が分からない。とでも言わんばかりの表情に向かって、私は堂々と宣言した。

 

「私の依存対象であり、私に依存してくれる存在。

 愛すべき、相棒といった所でしょうね」

 

「……何だそりゃ」

 

 軽く額を抑えて、くつくつと笑う彼。つられて、私も笑う。

 

 彼らは機械だけど、確かに人の形をしている。かと言って、相互依存関係から脱却するかと言われればそんな対象でもなくて。

 きっと人類は、今日も明日も彼らに依存して生きるのだろう。勿論、私も。

 

 

 

 

 

 

 

パソコンのいる生活

 

 

(Not 恋人、Not 友人)

(But 相棒)

 

(2012/04/02)