嗚呼、どうか私を助けて下さい。

 誰でも良いです。

 どんな方法でも構いません。

 例えこの身が裂けようとも、例えこの四肢が引き千切れようとも。

 どうか私を助けて下さい。

 私のすぐ後ろまで迫っているこの化け物をどうかどうか、滅して下さい。

 あんな化け物、最初から居なかったのです。存在する筈が無かったのです。

 いえ、寧ろ存在などしてはいけない許されざる異形の者。

 あれが無ければ、全ては上手く行ったのに。上手く行く筈だったのに。

 あれが私達の幸せを全て奪ってしまったに違いない。違いない違いない違いない!

 しかし幾ら嘆こうとも現状は変わらない訳で、だからこそ私は誰が見るとも知れぬこの場で助けを求めているのです。

 きっと誰かがこれを見る頃には、全て終わった後でしょう。

 しかし、それでも助けを求めずにはいられないのです。自己満足だとしても。

 僅かな可能性に望みを掛けずにはいられない。あれは、もしかしたら私の中に生まれた別の人間。

 或いは、堕落し崩壊し歪みきってしまった私の残骸。どちらにせよ、私であって私でないことは確かなのです。

 そうでなければ私が愛しいアーサーさんを傷つけたりなど、する筈が無いのですから。

 私に嗜虐の趣味はありません。

 事実、同人誌の中ならまだしも愛する人を鎖で縛り付けるなど私にとっては嫌悪の対象でしかない。

 あまつさえ、首を絞めながら無理矢理犯すなど!

 これでも二次元と三次元の区別ぐらい、つけているつもりです。なのに、なのに何故!

 笑いながら何度も何度も頬を殴って。

 それでいて、笑いながら 何度も何度も至る所に口付けて。

 まるで、お互いが愛し合っているかのように。

 愛し合っているなど、エゴイズムにも程がある。

 相手が痛みに震え、泣き喚いているというのに。

 それだけでも可笑しいというのだが、私は、まるでそんな惨状が見えないかのように楽しそうに笑っていた。

 嗚呼、今ならアーサーさんが何故あんなに傷ついた様な表情をしていたのかが良く分かります。

 愛してもいないであろう男と、会議の間一つ屋根の下で談笑するだけならまだしも、無理矢理殴られ、蹴られ、辱められ!

 怖かったでしょう、辛かったでしょう。朝起きたときの有様は私も恐怖した。

 恐怖と罪悪感に泣きながら謝る私を、彼は笑って許してくれたけれど。

 あの目は絶対に笑ってなかった。

 怖い、来るな、近寄るな。

 彼の目には恐怖と軽蔑しか映ってなかったように思える。

 嗚呼、あれが私の疑心暗鬼が生み出した幻覚ならばどんなに良かったことか。

 しかしその後アーサーさんが逃げるように客間に戻って行ったのも、きっと気のせいではなく紛れも無い現実なのでしょう。

 そんな事を今私は書いていますが、会議がまだ続く以上アーサーさんは今宵も私の家に泊まる訳でして。

 また昨夜のように箍が外れた暴走を絶対しないという保障の無いことが、酷く恐ろしいのです。

 私ではない私に、完全に侵食されようとしている私。

 そんな化け物が、再び彼を食い物にするのが酷く恐ろしい。

 私の姿をした歪な化け物の所為で、私が嫌われてしまうのが何より怖い。

 彼は私をきっと愛していない

 でも、私は彼を愛してる。

 それこそ、壊したいくらいに。

 だから、化け物が私の願望の現れなのかと聞かれたらきっと私は否定できない。

 だけど、彼に嫌われる事など決して望んではいない。

 嗚呼、もうすぐ日が沈む。

 化け物が現れないことを、私はただ祈ることしか出来ない。

 嗚呼、誰か私を助けて下さい。

 このままでは私は、彼諸共壊れてしまいそうです。

 

 

 

 

 

 

「……酷いなぁ」

 パタンと、俺は血染みのついた日記帳を閉じた。ダークブラウンのカバーがかかったそれは、菊の部屋に落ちていた物。

 

 会議が終わったのが、今日から数えて三日前。俺達も一度は本国に帰ったけど、アーサーだけが菊の家から帰っていないらしい。それを俺とフランシスで迎えに行ったのが、事の発端だった。

 菊の家に泊まってるって聞いたから、きっとそういう理由なんだろうな。なーんてフランシスと談笑しながら、俺は菊の家を訪ねたんだ。

 菊は用心深いから、当然のことながら扉に鍵がかかってた。何回も呼んだんだけど、菊は出てきてくれない。

 出かけてるのかと思ったから、開国の時に「何かあったら」ともらった合鍵を使って勝手に中に入ったんだ。何か言われても、菊は優しいからきっと許してくれる筈さ!

 そして、横引きの扉を開いた。

 

 途端に。

 

 何とも言えない嫌な臭いが、俺達に纏わり付いてきた。鉄の臭い。俺もフランシスも、すぐに分かった。

――血の、臭いだ。

 嫌な予感を振り払えるわけも無く、そのまま俺達は菊を探した。

 アーサーが菊に惚れているのは、最早周知の事実だった。噂では、結婚指輪を送ったとも聞いている。真偽の程は定かではないけど。

 エロ大使で有名なアーサーのことだ。一つ屋根の下ともなれば、きっと菊に手を出すに違いない。

 そして、もしも菊が拒絶したら……。

 フランシスも、同じ考えだったみたい。大声で菊の名前を呼びながら、二人で家中を探し回ったんだ。

 そして、客間で俺達は見つけた。でも、菊は居なかった。代わりに俺達が見つけたのは

 

 

 アーサーの死骸。

 

 血溜まりの中に沈んでいた、アーサーの死骸。

 

 喉元を食い千切られ血溜まりの中に沈んでいた、アーサーの死骸。

 

 左腕を切り取られ喉元を食い千切られ血溜まりの中に沈んでいた、アーサーの死骸。

 

 左腕を肩下三センチの部分で切り取られ喉元を無惨に食い千切られ壊れた人形みたいに血溜まりの中に沈んでいた、アーサーの死骸。

 

 

 

 

 そして菊を探す途中で俺が拾った日記帳に書いてあったのが、さっきの菊が書いたらしい文。これより後の日付には何も書かれてない。

「フラン、シス……」

「ああ、だろうな。……マジかよ、アーサーが―――しかもどうして、菊が……? なんてこった……」

 多分、アーサーをこんな風にしたのは日記の文面から見て菊だろう。

 アーサーを返してくれなんて、今更言わない。もう死んでしまったのだから、どれだけ言ったって戻らないぐらい理解できる。

 でもさ、菊。

 何が君をここまで追い込んだ?

 

 君は今、何処にいるんだい?

 

 

 

 

 

侵食融解、そして崩壊

 

(助けて、たすけて、タスケテ)

(寂しくないですよ? だって、あなたと一緒なのですから)

 

 

(2009/09/09)

(2010/07/20 微修正)

(2012/01/10 微修正)