「あッ……ひゃあ…んっ!」

 

 何時からあるか。我とお前がこんな風に成ってしまったのは。

 

「やっ、そこはっ……ダメです…!嫌……だめ、あ、やあああああッ!」

 

 覚えてねぇある。思い出せないある。

 ……思い出したくも無いある。

 

 それ以上、弟が男に犯されて上げる悲鳴を聴きたくなくて。

 我は、耳を塞いだ。

 

 

何時の日か、海の向こうへ

 

 

「大丈夫、あるか」

「っく……はい、有難う御座います…」

「お前も、好い加減慣れるあるよ。…そうでなきゃ、こんな所で生きて行けねーある」

「そんな、殺生な事を仰らないで下さい。何故、王さんはそこまで順応出来るのですか」

 2人きり。

 客が帰り、静まり返った部屋の中。

 つい数時間前まで、菊とあのいけ好かない阿片野郎が抱き合っていた部屋の中。

 微かに嗚咽を漏らした菊は、まだ少し気だるそうな様子で真っ赤な目を我に向けた。

「そりゃあ、我は売られてきた身あるからな。こんな事でもしねーと、野垂れ死にするだけある」

「………生きる為なら、同性に抱かれあまつさえ女のようにはしたない嬌声を上げる事も厭わない、と?」

 珍しく、刺々しい言葉。軽蔑に染まり、涙に濡れた目に射抜かれる。

 菊が何を言いたいのか位、我はとっくに知っていると言うのに。

 

 

 菊は、我の弟だ。

 と言っても、血が繋がっていると言う訳ではない。

 幾ら千年以上の時を生きる仙人とは言え、身体は昔のまま。

 好きでもない女を抱くのにも、醜悪な野郎共に抱かれるのにも慣れ、太夫の地位まで上り詰めた頃。

  

 その子は、我が幼少の頃この店に売られてから数百年経った雨の日に売られて来た。

 幼く綺麗な顔立ちに不釣合いな、不貞腐れ一文字に結ばれた唇。

 もう未来も希望も何も無い、とでも言わんばかりの濁った目。

  

 それが、この店に遣って来た頃の我と瓜二つで。

 

 遊郭には、「禿」と呼ばれる見習いの幼女達が沢山居る。

 そしてその禿達は、太夫や天神などの上級遊女に使えるのだ。

 我は、菊を真っ先に自分の禿に指名した。

  

 最初は、ただの興味本位。

 昔の我に似ている子供が、どんな風になるのか見てみたかった。

 でも、今は違う。

 我はこの子を、昔の我だった彼を……。

  

 

 

 

「……他に、手がねーあるよ」

「私は、耐えられません。男に犯されるという事だけでも屈辱的だというのに、あんな風に……」

 言い掛けた所で、涙の跡が付いた頬にさっと赤みが差す。直した服の裾に、そっとその細い手を這わせる。

 思い出しているのは、昨夜の情事あるか?

 あの阿片野郎の事でも、想ってるあるか?

 あいつは、良かったあるか?それを良いと感じてしまう自分が、悔しいあるか?

 

 

 

 

 近頃、異国の奴らがこの店に足を運ぶようになった。

 金髪、銀髪、翡眼、碧眼、色取り取りの瞳と髪。今では娼婦の大半が、金使いも良くて見た目も良いそいつらに色目を使う。

 我には、それが分からない。

 あんな偉ぶった蛮人どもの、何処が良いんだか……。

  

 そんなある日、金髪翡眼の男が菊を買った。

 買う。それ即ち、また菊が何処の馬の骨とも知らぬ男に抱かれると言う事。

 仕事でなかったら、中華鍋でも持って妨害しに行く所だろう。

 弟を……愛しい子を犯されて喜ぶ兄が、一体何処に居る?

  

 翌朝早朝、我はこっそり部屋の前まで行った。

 そしたら、丁度その男は服を正して帰る所だったらしい。我には目もくれず、奴はさっさと廊下を歩いて行ってしまった。

 その時に、知ったのだ。

 男が、麻薬……阿片と、同じ匂いを纏っている事に。

 その日から、我は奴を阿片野郎と呼んだ。本名なぞ、一々調べる気もしない。

  

 

 

 

「菊、菊。こっちに来るあるよ」

 俯く菊の手を取って、そっと此方に抱き寄せた。

 菊が犯し犯されて泣く時、我達は決まってこれをする。

 髪を梳き、優しく撫で、抱き締める。欲情を伴わない、和やかで深い愛情。

 

「菊。いつか此処から出られたら、山を越えて列車に乗るある」

「…はい、兄上」

「色々な物や人や町並みを見て……そしたら、海に行くあるよ」

「はい、兄上」

「それで、海辺の町に行って。其処で、二人一緒に仲良く暮らすある」

「はい、兄上」

「ずっとずっと、一緒ある。苦しい事があっても、悲しい事があっても」

「はい、兄上」

「……我??。だから、こんな所で負けちゃいけねぇあるよ」

「はい、私もです。……哥哥」

 

 

 

 弟を、年下で同性の青年を愛した我は病んで居るあるか?

 病んでいても、構わない。少なくとも、我は性欲さえ満たせれば後は如何でもいい下種とは違う。

 この子の傍に居るだけで、我は幸せなのだ。

 この幸せを愛と呼ぶなら、それはどんな物よりも高潔で美しいだろう。

  

 我は、この子を、彼を……

 

 

 

 守りたいだけある。

 

 

 

 

(賽の河原で、二人は石を積み続ける)

(完成しない石の塔を、夢見ながら)

 

(2010/03/07)